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障害のあるきょうだいと育ったことについて、ある雑誌に寄稿しました。
もともとは、tobiracoの活動について書いていたのですが、その雑誌は障害のある子の親が読者。障害について触れてほしいという編集者からのオーダーはもっともな話です。
本当はあまり書きたくなかったのですが、書きました。書いてみたら、本当は書きたかったことがわかりました。
書きたくなかった理由は、障害のあるきょうだいと育つことは簡単には語れないからです。最近の風潮として「きょうだい児」や「きょうだい児支援」がとてもステレオタイプに語られてしまうことへの疑問もありました。
きょうだい児は、ひとくくりにして語ることができないほどいろいろです。支援が必要な子もいれば、必要ない子もあります。支援が押しつけになってしまっていることもあると思うのです。
雑誌には、支援のなかった時代の私自身を振り返って書きました。書いてみると、今の時代なら、支援が必要、ヤングケアラーという言葉でくくられてしまいそうです。
障害のある子と育つということは、障害のある子の親に育てられるということです。私の場合、弟と妹に知的障害があります。障害のある子を二人育てることがどれほど大変なことかを、目の当たりにした私は母の手助けをするのが当たり前でした。小学4年生ですでに妹のおむつ替えから、ミルク作り、あやすことまでできました。
特殊学級(特別支援学級)に通っていた弟の行事には親代わりに参加したこともあります。林間学校では、弟が小さな蝙蝠を発見して大騒ぎになり、みんなで蝙蝠を探しに行ったのは懐かしい思い出。当時の特殊学級には知的障害の子も自閉症の子も、知的障害がない難病の子も同じクラス。いろいろな障害のある子とその親も見てきました。
妹や弟のめんどうをみることが苦痛ではなく、当然のことだったのですが、今の時代なら、私は支援が必要なヤングケアラーとして見られてしまうのかもしれませんよね。
でも私にとっては、大変なことではなかったし、振り返ると豊かな経験です。この時の経験が自分という人間を作っているのかもしれないと思うことがあります。
支援が必要な、深刻な事態に直面している「きょうだい児」や「ヤングケアラー」は、もちろんいて、社会全体で支える仕組みが必要たと強く思います。
でも、みんなが支援が必要なわけではなく、ひとくくりに語ってしまうと、こぼれ落ちていくものがあるような気がするのです。
トビラコ店主
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