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2021.07.31

トビラコへ、ようこそ

~店先で、ちょこっとおしゃべり~

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これは何かの罰なのではないか。
 
障害のある子を授かった親の多くが、このように思うことがあると、ある親の会の会長さんに聞いたことがあります。私の兄妹も障害があるので、母も同じ気持ちになったことがあったかもしれません。
 
会長さんによると、親の会に入って互いに少し親しくなると、
「私は、これまで真面目に生きてきたのに、なぜこんな目に合うのか」
「前世、何か悪いことをしてきたのか」
「なぜ、他の人でなく、私だったのか」
「これは何かの罰なのではないか」
 
口々に、このようなことを語り始め、互いに、呆れるくらいに同じことを思っていて、「私だけじゃないんだ」とほっとするそうです。
 
わが子の障害を受け入れることができないという気持ちと、この子と共に生きていかなければならないという現実。この間で揺れる親の気持ちを分かち合える仲間がいるだけでも、心強いですよね。
 
愛読している『月刊 発達教育』(公益社団法人 発達協会)の連載「私の子育て日記」にも「障害のある子を授かったことは何かの罰なのではないか、と考えてしまったり・・・」というくだりがありました。
 
この連載は、障害をもつわが子の誕生から現在までを、親自身が綴っています。毎回、真っ先に読む連載です。今回は、揺れる親の気持ちが包む隠さずに書かれていました。
 
子育て・家庭・仕事のバランスがとれずに苦しい時期があったこと。発達の遅れを気にして、つい他の子と比べて、「障害のある子を授かったのは、何かの罰なのではないか」と思えて、かわいいと思えなくなったこと。
 
こうしたことが綴られていました。この暗いトンネルから抜け出すことができたのは、3ヶ月の休養であり、まわりからの助けでした。
 
著者であるお母さんは、「自分自身が壊れてしまう前に、まわりに助けてほしいといえる能力が必要であり、自分自身が楽しく過ごせることも大切にしていきたい」と語っています。
 
わが子をかわいがりたいと思ってもそれができない理由のひとつに、時間的な余裕のなさが挙げられるように思います。時間の余裕のなさは、心の余裕のなさに直結します。
 
手のかかる子を、精神論だけで育てることができないことは、私自身、母を見ていて思います。いっときも目を離すことのできない子を1時間でいいからみていてほしい。1日でいいから、ぐっすり眠りたい。いえ、1日なんて贅沢はいわないから半日でいいからひとりでゆっくり買い物を楽しみたい。それすら許されない日々を送っていたら、誰でも気持ちの余裕がなくなります。
 

いま、気持ちの余裕をなくしているお母さんには、まず自分自身の時間を確保してほしいと思います。そのために、まわりに助けを求めてほしい。バスで送り迎えしてくれる預かり型の療育に通わせるのもひとつの方法です。預かり型の療育は、療育の内容が薄いと批判されがちですが、親の助けになるなら多少療育の内容が薄くでもいいのではないかと思います。
 

親の会も大きな助けになるし、行政でも何かしら、障害のある子を受け入れるサークルやら発達支援の施設もあります。もちろん、実家が孫を可愛がってくれるなら、甘えてしまってもいいですよね。
 
特別支援士の堀内祐子さんは、四人の発達障害のお子さんを育てたベテラン母です。その堀内さんは、子どもたちが小さいうちは、夜ひとりの時間に大好きなスイーツを食べるのを楽しみにしていたそうです。その後、現在も続く趣味に没頭しご自分の時間をとても大事にされています。
 
でも堀内さんも、最初からそうだったわけではなく、特別支援の師匠である阿部利彦先生に、自分自身の楽しみの時間を作るようアドバイスされたそうです。子育てが一段落した堀内さんは、いま他の同じような境遇で同じような悩みをもつ親たちを支援する側に回りました。
 
「何かの罰ではないか」と思った時、自分が自分に発しているSOSのサインかもしれません。まずは、自分自身を助けてあげてほしいと思います。

 

 

 

 

トビラコ店主

 

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