~店先で、ちょこっとおしゃべり~
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家族にせよ、当事者にせよ、障害があるがゆえに嫌な思いをすることは、一度や二度ではないでしょう。
数日前に読んだ、耳が聞こえないことを理由に宿泊を断られた親の子どものはなしもまた、両親が聴覚障害であったために嫌な思いをした子どもの話です。読みながら「無自覚な差別」ってこういうことだよなと思いました。
「やったことがない」、あるいは「めんどう」というニュアンスで断る宿泊先の人たちに、差別しているという意識はないでしょう。おそらくこの人たちは、あからさまな差別主義者というのではありません。客商売をしている人たちですから、近所づきあいもそれなりにしていて、なんなら善人で通っている人たちかもしれません。
「善人で無自覚な差別者」たちは、形を変えながらもかなりの数、いるのではないかと考えています。
これ、何かに似ているなと思って、さっきから頭をぐるぐるさせていたのですが、思い当たりました。
いきなり話が飛びます。
グループホーム建設を反対する人たちです。
この人たちは、日頃から近所の人とは挨拶をし、それなりにつきあいもあり、差別はいけないと思っている人たちかもしれません。
でも、グループホームが近所に建つことには黄色い旗を掲げて、猛烈な勢いで反対する。自分達の差別には無自覚です。
グループホームは行政から認可され、普段は管理する人がいるので、問題はほとんど起きないはず。でも反対する人たちは、地域のイメージダウンというようなことを言っているようです。
これは知らないだけです。いわゆる昔ながらの施設をイメージしているのかもしれません。もちろん、だからといって反対していいわけではありませんが、昨今のグループホームは、一見すると洒落た大きな一軒家風だったりします。
知的障害のある妹が入所している施設も、10年ほど前に建て替えが行われて、若手建築家が腕を振るった、木肌を活かしたおしゃれなマンション風です。
イメージだけで語る人たちは、知ろうとしない人たちだと思います。昔、ある弁護士が「無知は罪」という話をしていたことを思い出します。
先の民宿の例でも、筆談でやり取りできるのだから問題はないわけです。口頭で言った言わない、聞いてないという問題はまったく起きません。むしろ手のかからないお客さんなわけです。でも知ろうとしないから、拒否してしまう。
と書きつつ、自分も、もしかしたら無自覚な差別者になっているかもしれません。何しろ無自覚だから、自覚がないからタチが悪いのです。だから「知る」ことは大事と、自分に跳ね返ってくる言葉にもなりました。
昔、少しおつきあいのあった評論家(思想系)のかたが「知ることで自由になれるんだよ」とおっしゃっていました。当時、若かった私はその意味を十分に理解できていなかったように思います。でも、今なら、その言葉の重みがわかるような気がします。
トビラコ店主
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ママたちに大人気 こどもリハビリかめきちさんにインタビューしました。
日本一リアルタイムに相談できる小児PTかめきちさんにきいたリハビリと魂の話
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