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2023.09.02

トビラコへ、ようこそ。

~店先で、ちょこっとおしゃべり~

お試しいただける商品をまとめました、こちらです。
 

 

「きょうだい児」という言葉を知ったのは、tobiracoを設立してすぐの6年前のこと。私に知的障害のある弟と妹がいることを知った人が教えてくれました。
 
きょうだい児を研究している人がいて、きょうだい児支援というものがあると知ったのもその頃です。
 
還暦をとっくに過ぎている私が小中学生時代には、きょうだい児研究やきょうだい児支援というものが、少なくとも日本では行われていなかったと思います。
 
いい時代になったと思うと同時に微妙だなとも感じます。
 
きょうだい児は、「障害のあるきょうだいがいる」以外は、ひとくくり語ることができないと思うからです。
 
きょうだいとの年齢差によっても、全く視点は変わってきます。家族構成や背景によっても変わるでしょう。
 
支援が必要かどうかは人によります。支援が必要ないきょうだい児だっているでしょう。支援に戸惑うきょうだい児もいるでしょう。支援というのはたいてい「善意」から発しています。いくら迷惑でも「善意」を断ることは難しく、この点が厄介です。
 
きょうだい児同士のささやかな集まりが、いつの間にか大きくなって少なくない補助金を得るようになり、立ち上げた人が(新しもの好きの)マスコミにたびたび登場し「正義の人」に変貌していく様を見たことがあります。
 
当初は、きょうだい児が集まって、他の人にはわかってもらえないであろうきょうだいの話(苦労話だけではなく自慢話も)を、屈託なくしていても、社会に物申す正義の組織になってしまうと、変貌せざるを得なくなってしまいます。私が知っている、その組織は、きょうだい児はヤングケアラーであると定義づけ、ヤングケアラーの声がまだまだ世間に届いていないと叫ぶようになってしまいました。
 
きょうだい児を語ることは本当に難しいと思います。
 
ただひとつ言えるのは、きょうだい児はみな親の苦労を肌で感じているということです。私の場合は、きょうだいたちと年齢が離れているので、きょうだいの世話は結構してきたと思います。
 
小学5年生にして妹のオムツ替えやミルクを作ることはでき、妹をあやして泣き止ませることもできました。妹の泣き方を聞いて「あ、ミルクだな」「あ、うんちだな」ということもわかるようにもなりました。
 
母は、そんな私を頼りにしていました。それは苦痛でもなんでもなく、あたりまえのこととしていました。でも、これをきょうだい児=ヤングケアラー=支援が必要という図式で見られてしまうと、ちょっと待ってと言いたくなります。きょうだいの世話をすることが苦痛な子もいれば、家族の一員としてあたりまえと思う子もいます。
 
多様性を認める時代といいながら、「きょうだい児」「ヤングケアラー」をひとくくりにされてしまうことに疑問を感じてしまうのです。「多様性」の向こうに「あるべき家族の姿」があり、そこからはみ出ている子は支援が必要というのは、多様でもなんでもなく、画一的と言えないでしょうかね。難しそうな話になってしまいましたが。

 

 
 

トビラコ店主

 

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