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「居る」ことについて、私たちはあまりにも当たり前すぎて意識したりしません。
「居る」を強く意識せざるを得なくなるのは、「居場所」がなくなったときです。ここは自分が「居る」ところではないと感じて、初めて人は「居場所」を求めるようになります。
学校に居場所がないと感じた子は、別のところに居場所を求めます。そして学校以外の居場所に巡り会えた子は、そこでようやく安心して過ごすことができるわけです。
学校以外の居場所が、放課後等デイサービスであったり、習い事の教室である子もいるかもしれません。
『居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書』(東畑開人著 医学書院 2019)を読むと「居る」ことを支えているのは、じつは目に見えない「ケア」であることがわかります。
本書はケアについて、私たちは軽んじてやしないかということが、書かれています。
ケアは世話をすることでもあります。家庭なら子どものためにご飯が用意されていて、お風呂に入れるようになっていて、清潔な服を着ることができて、快適に眠れるようになっている。これがケアであり、誰か(主に親である場合が多い)がしているわけです。子どもに困りごとがあれば、話を聞いたりするのもケアかもしれません。
よく、作業療法士の木村順さんが、「親は子どもの世話ができていれば、それだけで合格」とおっしゃいます。つまり、ケアができていれば、子どもの居場所づくりができているよ、ということなんだと思います。
『居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書』は、カウンセラーの駆け出し時代の東畑さんの話です。京都大学で心理学の博士号をとったいわば、エリートの東畑さんですが、いざ社会に出てみると、カウンセラーの仕事はなく、食い扶持を稼ぐことさえできずにいた時に、ようやくありつけたのが沖縄のデイケア、精神障害のある人たちの通所施設です。
心理カウンセラーとして意気揚々とデイケアに出勤したものの、思い描いたカウンセリングの仕事とはほど遠い、利用者のケアばかり。利用者のための麦茶を作ったり、送り迎えのワゴンの運転をしたり、利用者とゲームをしたり。
そんな中でデイ利用者相手に、ようやくカウンセラーとしての仕事が「発生」。ようやく本来の仕事ができると、はりきって密室でしっかりと話(壮絶な内容)を聞くカウンセリングの仕事をしました。ところが、カウンセリングの回を重ねるうちに、結局、その利用者は来なってしまいます。
単につらい記憶を吐き出させるだけになってしまった自分を責める東畑さん。そこで初めて、利用者は深い話を聞いて欲しかったわけではなく、デイに「居る」ことを望んでいたことに気づきます。そして「居る」ために必要なのがケアであることを悟ります。
カウンセリングばやりの昨今、とても示唆に富んでいる話ではないでしょうか。あ、だからといってカウンセリングが不要といっているわけではありません。この続きは、またどこかで。
トビラコ店主
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小学館子育てサイトHugKumでtobiracoのコミュニケーションゲームが記事になりました。
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