お知らせ一覧

2017.07.24

「利用規約変更のお知らせ」の後に、いつものように「トビラコ店主より」を掲載。

【重要】利用規約更新のお知らせ(改定日2017年7月19日付)

2017年7月19日付で、利用規約を更新いたしました。
新商品「小さな花畑」についてのご注文・お支払い・配送方法についての項目が加わりました。
この更新をご確認いただき、変更内容についてご理解くださいますようお願いいたします。
内容については、以下をご確認ください。
・利用規約

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トビラコへようこそ!
 

「障害受容」という言葉は、もともとは事故で途中から障害者になった人のために使われていた言葉らしいですね。ハビリ関係者が使っていたとか。
 
それまで何不自由のない体で生きてきた人が、事故を境に障害者としてい生きていくことを強いられるわけですから、そこに「受容」という言葉が生まれたのは自然なことかもしれません。
 
この話は、リタリコの教育実践フォーラムでの講演で知りました。演者は、中田洋二郎先生(立正大学心理学部教授)。長らく知的障害や自閉症の子どもたちの施設に勤めてきて、療育や親のカウンセリングを行ってきたかたです。
 
「障害受容」は、今では障害者全般に使われていて、特に親がわが子の障害を受容するか否かという文脈で語られることが多いですよね。
 
障害を受容するまでには段階があって、最初はショックを受け、次に「否認」、次に「悲しみと怒り」、次に「適応」、次に「再起」という道を辿るというのが定説になっているようです。
だから、障害を受容できないと「あのお母さんは、まだ受容できていないね」と言われる。
 
でもちょっと待って。実態はそうではないよ、と指摘したのが中田先生です。
 
受容できる日もあればできない日もある、というのが本当のところではないだろうか、という中田先生の言葉にどれほどの親が救われたでしょうか。
 
トビラコ店主の妹は、ダウン症、知的障害、自閉症といろいろな障害が併発していますが、母は「〇〇(妹の名)が普通だったら、今頃は〜」という話をすることがあります。若い頃は「受容」できていない母に、うっすらと腹が立ったものです。でも、今ではそんな想像くらいしてもいいじゃないかと思うようになりました。妹を決して受け入れていないわけではないのです。
 
障害を一旦は受け入れた、でも受け入れきれない時もある、そしてまた受け入れる、そんな揺れが多かれ少なかれ障害児の親にはあると思います。その揺れが許されないというのはあまりに酷な話。

 

中田先生は、こんなエピソードを話してくれました。
 
小学校で通常級にいた息子さんですが、中学校では特別支援学校を選択したお母さんの話です。
 
ある日、小学校時代のママ友から、「うちの子、全く受験勉強しなくて、私、ノイローゼになりそうよ」と愚痴の電話をもらいました。
それを聞いたお母さん、「うちは、(受験しないから)その心配がなくて気が楽だわ」と答えたそうです。その時はそれですみました。
 
でもその晩、お母さんは、布団の中で昼間のママ友のとの電話のやりとりを思い出して、涙が溢れてきたそうです。自分はもう受験とは無関係であることに改めてショックを受けたのです。昼間はなんともなかったのに。そこで、障害を受け入れきれていない自分に気づいたといいます。
 
人の気持ちは、階段を登るようにきれいに移行したりはしません。揺れ動きながら、行きつ戻りつしながら少しずつ変わっていくのではないでしょうか。
受け入れきれない自分を責めるのではなく、それも自分の姿と認める方が気持ちは楽になると思います。
 
障害児のお母さんは明るくて元気な人が多い、という人が時々います。そう思うのは勝手ですが、できれば、それを口にするのはやめてほしいなあと密かに思っております。不安で押しつぶされそうになることだってあるのです。そんなことを言われてしまうと、いつも明るくて元気な人間じゃないといけないみたいじゃないですか、ねえ。

 

トビラコ店主より

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人気ブロガーのアマミモヨリさんが「きいて・はなして はなして・きいて トーキングゲーム」をブログに書いてくれました。おもしろくて、ためになる使い方です。

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