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塾に子どもを「預ける」という言い方はあまりされないのに、保育園、学童保育、放課後等デイサービスなどは「預ける」という言葉が使われることが少なくありません。
志のある保育士や指導員ほど、おそらく「預ける」「預かる」という言葉になんとなくひっかかりを感じているんじゃないかなと思いますが、どうなんでしょうか。
仙台でプレイパークの運営に関わっていた知人が、自主保育園を立ち上げました。
プレイパークは冒険遊び場というNPO法人が運営し、子どもの遊び場づくり(主に大きな公園の一角が多いです)のために活動しています。全国に点在しているのでご存知の方も多いでしょう。
自主保育園を立ち上げた知人は、「(説明会で)子どもを預けるところではなく、子ども大人も育つということに気づかせてくれた時間でした」と語っていました。
似たようなことを、ずいぶん昔に聞いたことがあるなと思ったら、
神戸で学童保育の指導員をやっていた友人が、同じようなことを言っていたっけ。
「子どもを預かっているだけやない、共に育つ場なんや」
その子たちももう結婚式を挙げる年齢。子どもたちから「おっちゃん」と慕われていた友人は、式に呼ばれると「おっちゃんとあの学童で育てられたようなもんや」と泣ける言葉をちょくちょくもらっているそうです。なかには不登校気味だった子、家庭が複雑だった子もいて、トビラコ店主も当時の状況をよく知っているだけに感慨ひとしおです。
本当に、あの学童は子どもたちにとっても親たちにとっても共に育つ場でした。どうしてあのような場ができたのかなと考えた時、「預かる」「預ける」という関係ではなし得ない「育つ場」ということを互いに了解していたのではないかなと思いました。
一軒家だったその学童に、みんなでよく集まっておしゃべりしたり、呑んだりもしました。子どもたちは2階で遊び、大人たちは1階で集う、という感じ。1週間のキャンプにも出かけました。これは親は同伴しません。
「みんなが育つ場」ということを了解できるようになると、自分の子だけではなく、よその子の成長も共に喜ぶことができるようになるものです。
いや、そこまでの関係はちょっと、、、という人も少なからずいるでしょう。それもわかります。人間関係に面倒はつきものですからね。
ただ「預ける」「預かる」というやりとりだけでは「子どもが育つ場」になりにくいんじゃないかということが、言いたかっただけなのに、ダラダラと長くなってしまいました。
偶然ですが、仙台の知人も神戸の友人も、知り合ったきっかけは震災でした。
神戸の学童なんて、震災の年の夏休みに1週間のキャンプをやったんですよ。すごいでしょ。建物がほぼ壊滅状態で、河原のテントが仮設学童。明日どうなるかもわからない、学童を続けられるかどうかもわからないの時に、
「おっちゃん、今年のキャンプはいつやるん?」
と子どもに聞かれたそうです。沈み込んでいた大人たちにキャンプという具体的な目標を与えてくれたのが子ども達だったのです。この話、とても印象に残っています。
震災の話になったら、また長くなってしまいました。
最後までお読みいただきありがとうございます。
トビラコ店主より
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人気ブロガーのアマミモヨリさんが「きいて・はなして はなして・きいて トーキングゲーム」をブログに書いてくれました。おもしろくて、ためになる使い方です。
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