トビラコで販売している「ザフシステムスクール」が生まれるまでに、実は20年という長い年月がかかっています。
開発製造元の村上潤さんは、それまでは椅子とはなんら関係のない、西宮の幼稚園に勤める先生でした。幼稚園に肢体不自由児が入ってきたのがきっかけで、障害児用の椅子づくりの世界に入っていきます。それまではまったくの素人。しかし、素人だからこそ業界の常識にとらわれずに、むしろ常識とされてきたことを疑い、新しい発想で作ることができました。
常識を疑ったら、ラクに姿勢を保てる椅子ができた
1年間無給で椅子づくりを学ぶ。
今回のお話のポイント
●企業に就職したものの違和感を覚えて辞めて働きながらボランティア活動を。
●肢体不自由児のための椅子をフルオーダーで作っている木工所と出会い、椅子づくりのスタート地点に立つ。
──村上さんが、今のお仕事を始めようと思ったきっかけから教えていただけますか?
村上
僕は高校を出てから二つの企業に就職しましたが、どうにも違和感があって、続けて辞めてしまいました。「自分が本当にやりたいことはこれなんだろうか?」、「僕がやるべきことはもっと他にあるんやないか?」 そんなことを考えて働きながら人形劇団やボランティア活動などをしていたんですが、20代の半ばからは、夜間の保育専門学校へ通い、昼間は幼稚園に勤め始めたんです。
するとそこに、ひとりの肢体不自由の子どもが入園して来ました。幼稚園によっては「うちでは専門の施設や職員がおりませんので」と断るところもあるそうなんですが、そこはとても考え方が柔軟なところで、「明日からでも来てもらったら他の子と一緒に遊べますから」と決まってしまったんです。
「一品一品フルオーダーの椅子。
やりたかった仕事はこれや!」
──それが障害のあるお子さんとの、初めての出会いだったんですね。
村上
ええ。ですから最初はどう接したらいいものかと戸惑いもあったんですが、その幼稚園というのが毎日お散歩に出かけることが日課になっていて、新米だし若かったということもあって、僕がおんぶして連れて行くようになりました。その後も障害のある子どもたちとキャンプに行くようになったりして、次第に彼らの存在がとても身近なものになっていってたんです。
その頃、たまたま一冊の本に出会いました。『街の小さな木工所から〜障害者の道具作り』(はる書房)という本です。著者の竹野廣行さんは、当時東京の練馬区で「でく工房」という工房をやっておられて(現在は東京都昭島市に移転)、脳性まひの肢体不自由の子どもたちの椅子や道具を、一品一品フルオーダーで作っておられたんです。その本を読んで「ああ、これだ、俺のやりたかった仕事はこれだったんや!」と思いました。それが、このザフシステムスクールに行き着いた、いわばスタート地点でした。
──それまで木工の経験はあったのですか?
村上
まったくありません。ですからまずは職業訓練校に入って半年間基礎から学びました。また同時に『街の小さな木工所から〜障害者の道具作り』の著者・竹野廣行さんの「でく工房」を始め、全国にある同様の工房にも見学に行きました。すると、肢体不自由の子どもの椅子を作るためには、基本的な木工とはまた別の技術が必要だということもわかってきました。
そこで職業訓練校を終えてからは、地元・尼崎のとある工房へ弟子入りして、というか無理矢理押しかけてお願いしたような感じだったんですが(笑)。一年くらいほぼ無給で勉強させてもらって、少しずつですが、肢体不自由の子どもの椅子を作るようになったんです。
続く。
第2回 9月23日「この椅子なしでは座れない」と喜ばれたのがうれしくて、うれしくて
第3回 9月24日背すじピンより、ラクに座れることが大事
第4回 9月25日「いい姿勢」のために、筋肉に大きな負荷をかけている
第5回 9月26日不安定になる原因をなくしたら、心の不安もなくなった