先を照らす人の話 

ウチの子の小学生時代(3)
好きなことをやれたから、力を発揮できた

通り過ぎた今だから見えてきたあの頃のこと。発達障害のわが子にああすればよかった、あれでよかった。子育てを振り返りながら、さまざまな話をお聞きしました。子育てに正解はありませんが、参考にしていただければ幸いです。
 

三邨(みむら)智恵美(長野県 新中学1年生の男子の母)

 

「県選抜で守護神ゴールキーパーを目指したい!」

小学3年生から始めているアイスホッケーで張り切る息子を見ていると、発達障害があることや特性がわかり、良かったと思います。

保健室で過ごした時期はや遊び相手が見つからず泣いていた頃を振り返ると、今、スポーツを楽しむ息子の姿は想像もできません。

息子は小学2年生の秋に東京から長野に転校しました。30人学級から40人学級会、5人家族から母と子2人暮らしえと環境が大きく変わりました。3年生に進級すると忘れ物や提出物が出せないことが驚くほど多くなり、連絡帳やノートが全部書けない、友達とのトラブルが続く毎日で、担任から連絡を受けては私も教室で一緒に過ごしていました。

ところが、4年生から情緒障害支援学級(以下、支援学級」で個別指導を受け始めると、「算数ができるかも」「好きかもしれない」と「自信」を持つことができました。
 

本人と面談しながら決めた支援

 
息子が注意欠陥性型のADHD、算数LD (学習障害)とAPD(聴覚処理機能障害)の傾向があると診断がついたのは5年生。4年生の支援学級では算数と国語の個別指導を受けていました。5年生の2学期までは算数のみ、3学期から算数は通常学級と支援学級両方の授業、6年では支援学級に籍を残しながら通常学級で過ごしていました。学年末に、各担任、LD ・ADHD等を個別支援できる特別支援教師のスーパーバイザー、作業療法士、本人と面談しながら支援について決めていきました。
 

 
発達障害は子どもの成長とともに変わっていきます。
 
ADHD、LD、APDの特性は一見、わかりにくいもの。アイスホッケーでも、目を見て話が聞けない、できないことに凹み氷の上で固まってしまうなど目立つ子でした。ですが、本人に悪気がなく、性格は明るく屈託がないこと、またとにかく生真面目に休まず低学年の練習にも参加して努力していることなどから、他の保護者も個性として息子の長所と短所を受け止めてくれるようになりました。こうした環境のなか、息子は徐々に変わっていきました。

 

好きなことだから、頑張れた

 
6年生になった息子は、チームの守護神になりました。さらにその夏に県選抜で全国大会に出場、その後、長野、岡谷選抜で出場するまでに。ホッケーを始めた頃を知る指導者、他の保護者は皆が「まるで別人のよう。大きく成長して強くなった」と息子を表します。
 
子どもは好きなことがあると、親が思った以上の力を発揮します。好きなことなら少しずつ負荷をかけても頑張れます。苦手だったスケート靴の紐を結ぶこと、用意や身支度などがいつの間にか1人でできるようになりました。
 
ある保護者に「もっと期待したほうがいいよ。前の楓都(ふうと=息子の名)と変わったんだよ」と言われ、私自身が子どもの能力を限定していたことに気づかされました。
 

 
夢中になる特性は喜びももたらします。先日の大会でMVPを受賞した息子に、下級生や仲間が駆け寄り喜んでくれました。思いもよらない光景で、涙が止まりませんでした。他の保護者からもおめでとうの言葉をもらいました。

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取材・構成:三邨智恵美 写真:tobiraco 『発達障害 あんしん子育てガイド 幼児から思春期まで』(tobiraco編 小学館)より版元の許可を得て転載しています。