堀内祐子さんは、発達障害のある4人の子どもを育ててきたお母さんです。わが子が発達障害と知らず、子育てに悪戦苦闘していた時期がありましたが、診断がついてから発達障害について星槎(せいさ)大学で本格的に勉強。そこで出会ったのが阿部利彦先生です。阿部先生は、特別支援教育の第一人者であり、発達障害の子どもをもつ親の相談に長年関わってこられました。阿部先生のあたたかな眼差しは多くの親たちを励まし、共感をよんでいます。
先を照らす人の話 前編
ほめるどころか、いいとこをみつられなかった。
「子どもってこんなもんかな?」と思っていた日々。
阿部
堀内さんは、お子さんが小さいときは、どんなことが大変でしたか?
堀内
買い物に行けば必ず迷子になる次男を探しまわり、家では毎日、いたずらの後始末。4人ともアトピーとぜんそくがあったので、夜中にぜんそくの発作を起こした子を病院へ連れていったり、けがをした子を病院に連れていったり、そんな毎日でしたね。
でも私、「子どもってこんなもんかな?」って思っていたんです。
ところが、長男が小学校に上がったころから、困ることや、「何かおかしい」と思うことが増えてきました。文字を書くのを嫌がる、宿題はやらない、忘れ物は多い、同じことを言い続ける……。
先生からも、「ご家族でもしっかり見てください」と言われましたが、私の言うことをまったく聞かないので、いっこうに改善しませんでした。
阿部
それが発達障害だとわかったのはいつですか?
堀内
長男が小学校5年生のときです。実はわが家の場合、長男の発達障害がわかる以前に、長女の「不登校」という問題があったんです。
夫婦の足並みをそろえるきっかけになった「不登校」。
堀内
長男のことでも大変でしたが、同じ時期に長女の不登校が始まり、そちらで私の頭はいっぱいでした。長女の不登校を受け入れるのは大変でした。でもいまは思えば、長女の不登校を見守ることが、その後、子どもたちの発達障害を受け入れる土嬢になった気がします。
阿部
なるほど、そうだったんですね。
堀内
最初、私は娘に学校に行ってほしかったんです。当時は、不登校はいまほど多くない時代。子どもが学校に行かないなんて、ありえない話でした。「死にたい」と部屋にこもっていた長女と一日家にいるのはつらいことでしたが、どうして行きたくないかを娘がぽつりぽつりと話してくれるなかで、少しずつ受け入れていったんです。
阿部
ご主人はどうでしたか?
堀内
夫は仕事が忙しく、朝早く出て夜遅く帰るという生活でしたから、私が娘の不登校でどれだけつらい思いをしているかをまったく理解していませんでした。私は、夫に口で説明しても伝わらないと思い、便箋8枚に自分の気持ちを書いたんです。学校に行かない娘と一日家にいるということがどれほどつらかったか。でもいまは少しずつ、娘も私も元気になったので、家で過す娘をあなたと一緒に応援したい、ということを書き、その手紙を仕事に行く夫に渡しました。
帰ってきた夫は、もう平謝り。「あなたがそこまでつらい思いをしていたなんて知らなかった」って。その後も何度かそういうやり取りをしながら、少しずつ歩み寄っていきました。だから、長男の発達障害がわかったころには、夫婦の足並みはわりとそろっていたんです。
「堀内さんのご主人は理解があっていいわね」ってよく言われるけど、最初から理解があったわけじゃない。あきらめずに伝えた結果なんです(笑)。
お母さんひとりでかかえ込まない。
編集部(以下、編)
堀内さんのように自分の気持ちを夫に伝えられないお母さんは、どうしたらいいと思われますか?
阿部
「大丈夫、それでいいんだよ」とお母さんに寄り添って支えてくれるような相談機関や医療機関とつながれることが大切ですね。
「親の会」もいいですよ。同じような悩みをもっている人たちと出会えるので、「私はひとりじゃない」って思えます。
編
堀内さんはどうでしたか?
堀内
私は、娘の不登校でお世話になっていたスクールカウンセラーに長男のことを相談し、そこから紹介された市の「教育相談所」を経て、医療機関につながりました。そのときに「親の会」を紹介されたのです。
阿部
「親の会」って、参加者はほとんどお母さんですが、お父さんにも参加してほしいですね。ほかのお父さん方や、他のいろんな子どもと出会うことで、お父さんが少しずつ変わって行くこともあります。親の会はキャンプとかスポーツ大会とか、何かと男手が必要になることがありますから、そういうときに「ちょっと力貸して」ってお父さんを引っ張り出してもいいですね。
とにかくお母さんが孤立しないように、身近な人に理解して味方を増やしていくことが大切ですね。
子どもがかわいいと思えなかったことも。
編
お子さんが発達障害とわかって、何か変わりましたか?
堀内
長男が発達障害と診断されたことで、「彼の不可解な言動は障害のせいだったのか」とわかり、少しずつ、息子を理解できるようなっていきましたね。
阿部
それまでの堀内さんはお子さんにどのように接していらしたんですか?
堀内
長男が発達障害と分かる前のいちばん大変だったころ、息子がかわいいと思えない時期がありました。ほめるどころか、いいところを見つけることさえできず、まるで私のほうが長男から精神的虐待を受けているような気分でした。でも彼はわたしを苦しめようとしてあんなことをしていたのではなかったんですよね。
診断から1年ぐらい経ったころ、あるとき息子を見ていてふっと「かわいいなぁ」と思えて「けんちゃん(長男の名)ってほんとにかわいいよね」と口に出したら、息子がにこっと笑顔を見せたのです、その日を境に私は、長男の「いいところ」に少しずつ目を向けられるようになった気がします。(後編へ続く)
後編はこちら。
取材・構成・文/柴田美恵子 写真/tobiraco編集室
この記事は、子育て雑誌『edu』(小学館、2016.3月号で休刊)の別冊『発達障害の子の子育て応援BOOK』(2015年発売)に掲載されたものです。
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