先を照らす人の話 

「できないこと」をがんばるより、
「できること」を伸ばせばいい <前編>

高校卒業前にドローン空撮会社「スカイジョブ」を起業し、ドローンパイロットとして活躍する髙梨智樹さん。その活躍ぶりは人気のドキュメンタリー番組「情熱大陸」でも放送されたので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。
実は智樹さんには「識字障害(ディスレクシア)」があり、文字の読み書きが困難です。そんな彼がドローンパイロットとして活躍できるようになった経緯について、ご本人とお母さんの朱実さんにお話を伺いました。
 

高梨智樹さん

 
「文字が読めないならパソコンを使えばいい」「計算ができないなら電卓を使えばいい」
 
 

―――智樹さんは2歳で周期性嘔吐症になり、病院に点滴を打ちに通う日々で、保育園も小学校も半分くらいしか行けなかったそうですが、お家ではどのように過ごされていたのでしょうか?
 
 
智樹 具合が悪くて横になっている日が多くて、かけっことか鬼ごっことか体を動かす遊びはきつかったです。そんな中で興味を持つことは少なかったけど、できることはやらせてもらっていました。トミカとかプラレールなどもほしがると買ってもらえました。
 
朱実 小さい頃は外で遊べない日が多かったので、甘やかしていたのかもしれないけど、ほしがるおもちゃは買っていました。そのおもちゃを買って、夢中になって遊んで、具合が悪くなることを少しでも忘れてくれればという思いもありました。
 

母・高梨朱実さん

 
―――子どもの頃にハマっていた遊びは?
 

智樹 保育園のころはとにかく砂遊びが好きでした。当時はその理由はうまく説明できなかったけど、形が変わるのが面白くて、自分で作り出せるのが楽しいと思っていました。また何をやっても途中で具合が悪くなってやり遂げられないことが多かったので、いつでも始められていつでも終われる砂遊びは都合がよかったんです。途中でやめても周りに迷惑かけないから。

朱実 保育園に迎えに行くと、智樹はいつもお砂場にいて夢中で遊んでいて、私の顔を見ると「なんで迎えにくるの? 最後に迎えに来てよ」と低い声で言われました(笑)。保育士さんたちからも「地球の裏側まで掘っちゃえ!」と応援してもらって、とにかく黙々と砂を掘っていました。

 
「動くおもちゃは、中がどうなっているのか気になって仕方なかった」(智樹さん)
 

―――もっとこういう遊びをしてほしいと思ったことは?
 

朱実 もちろんありますよ。脳を育てるなどで話題になっていた知育玩具でも遊んでほしくて試しましたが、全く興味を示しませんでした。小さいころは何に興味を示すかわからないからいろいろやらせたいと思って、近くの公文式やピアノ、お習字なども「やってみようよ」と誘いましたが、それらも全然興味なし。結局、本人がほしい!と目を輝かせるものを買い与え、やりたい遊びを見守ってきました。だけど、せっかく買ってあげたおもちゃをすぐに分解してしまうのにはまいりました。
 
智樹 動くおもちゃなどは、中がどうなっているのか気になってしかたなかったんです。小さい頃はバラすことはできるけど復元はできなくて、すぐにおもちゃを壊してしまうので、怒られないように隠していました(笑)。
 

―――中学生の頃からドローンを自作していらしたそうですが、子どもの頃の経験が生かされていますね。
 
 
智樹 父や兄がラジコンをやっていて、家にいろいろな道具があったのもありますが、小さい頃から家にいる時間が長くて、ラジコンを改造したりして遊んでいました。パソコンも小学生の頃から使っていて、海外の動画でドローンのことを知り、部品を個人輸入して作りました。
 
 

智樹さんが使っているパソコン

 
 
 
「障害があるといわれて、私たちは納得できませんでした。本人はすっきりした顔でしたが」(朱実さん)
 
 
朱実 親が無理に何かをやらせようとしてもダメなんですよね。結局、本人が興味を示すことしか伸びないんだろうなと思いました。智樹の場合はあまりにも具合が悪い日が多くて友達とも遊べないから、具合がよい日は少しでも本人が楽しめることをやらせたいと思っていて、結果的にそれが今につながっているかなと思います。
 
 
―――智樹さんが文字の読み書きが苦手なのは、体調が悪くて学校にほとんど行けていないからだと家族みんなが思っていて、中学生の時に特別支援学校の担任の先生のすすめで識字障害の診断を受けたそうです。障害があるとわかったときの気持ちは?
 
 
智樹 それまでは周りのみんなも僕と同じように文字が見えていて、僕よりずっと努力をしているから文字が読めているんだと思っていました。僕は病気がちで、学校を休んでいるから読めないんだと本気で思っていたんです。だけど、それは障害があるからなんだとわかり、それまでの苦労の理由がわかり、すんなりと腑に落ちました。
 
 
 
朱実 本人の顔をみると、なんだかすっきりしたような顔をして、ストンと腑に落ちていることがわかりましたが、親の方は簡単には腑に落ちませんでした。本人が障害だとわかって辛くなったわけではないというのが救いでしたが、私たちは簡単には納得できませんでした。
 
 

―――10年前というと、発達障害や学習障害の認知度もまだ低いころかもしれませんね。
 
 
朱実 そうです。今は「識字障害の人には文字がこんな風に見えている」といって、虫が這うように文字が動くとか、文字がバラバラと飛んでいくとか、そういう情報がわかりやすく伝えられていますが、当時は何も知りませんでした。私と夫は同級生だったのですが、「字が読めない子はクラスに1人や2人はいたよね」くらいの感覚で、智樹も具合がよくなって勉強すれば、読めるようになると思っていました。
 
 

智樹 障害のことを受け入れるのは、母より父の方が、時間がかかっていたようでした。父が体育会系だったこともありますが、「何度も書けば覚えられるんじゃないか?」「一緒に勉強したらできるようになるよな」と言ってましたね。
 
 

父・高梨浩昭さん

 

「文字が読めないならパソコンを使えばいいと、智樹が理解できる方法を見つけてくれた特別支援学校の先生」(朱実さん)
 
 

―――朱実さんは、どうやってお子さんの障害受容ができたのですか?
 
 
朱実 診断されて、いまどきはそういうのもあるんだと耳にするようになり、うちの子もそうだったんだ‥‥という感じでした。文字が読めないのは、勉強が嫌いで不得意だからくらいにしか思っていなかったので、それが障害なの?と思いました。障害に対する知識不足もありました。多少なりとも知っていたら受け止め方は違ったと思います。
 
 
―――何かきっかけはあったのでしょうか?
 
 
朱実 「障害がある」と言われて、「そうなんだ」でおしまいにはできませんでした。「じゃあ、どうするの? どう対処したらいいの?」と、疑問になりました。その答えをくれたのが特別支援学校の担任の、宝子山先生でした。「文字が読めないならパソコンを使えばいい」「計算ができないなら電卓を使えばいい」と、智樹が理解できる方法を見つけてくださって、実践してくださったのです。先生からいろいろなお話を聞くことで、「立ち止まる必要はない」とわかりました。
 
 

―――知的な遅れを伴わない発達障害だと、それだけでは特別支援学校に入ることは難しいですが、智樹さんは病弱児扱いで特別支援学校に行けたのが、結果的によかったのかもしれませんね。
 
 
朱実 本当にそう思います。中学進学にあたっては地元の公立中学校に進む道もありましたが、本人の希望もあり特別支援学校を選びました。公立中学校に行っても大事にはしてくれたと思いますが、特別支援学校のように個別の対処法まで見つけてもらうことは難しかったんじゃないかなと思います。当時の担任はとても勉強熱心で、智樹に合う学習法を見つけるために個人的に研修会に参加するなどしてくださっていました。また、その先生のすすめで、東大先端研がやっている「DO-IT Japan」に参加できたのも大きな転機でした。
 
 

「それまでは説明できなかったけど、アラビア語のように謎の文字しか見えないというと、納得してもらえるようになりました」(智樹さん)
 
 

―――智樹さんは障害があるとわかって、何か変わりましたか?
 
 

智樹 それまで、「どうして読めないの?」「書けないの?」と言われても、「こういう理由で書けないんだよね」と、なかなか説明できませんでした。相手にわかってほしいんだけど、言葉が足りなくて伝えることができなかったのですが、理由がわかったことで、どんな風に伝えたらわかってもらえるかを考えるようになりました。例えば、僕にとっては文字がアラビア語のように謎の文字にしか見えなくて、繰り返し練習しても読めないとか、漢字は○や□や△を組み合わせた幾何学模様のようにしか見えず、再現することが無理だとか。そう説明すると、「へー」と納得してもらえるようになりました。
 
 

―――なかなか障害受容ができなかったというお父様は、どうやって乗り越えられたのでしょうか?
 
 

智樹 僕がうまく読めない、書けないことを説明できるようになり、さらに、どうしてほしいかもわかって、父にも具体的にこうしてほしいと言えるようになりました。その代わりにコレができるということも伝えています。
 
 

朱実 障害のことを知らなかった時は、つい「これ書いといて」とか、「読んでみて」と言っていましたが、智樹には言わないようになりました。それが智樹のストレスになるのなら、代わりに書けばいいことだし読めばいいことだから。ここに気をつければいいとわかったことで生活はしやすくなりました。主人は智樹と一緒にドローンレースに出かけることが多いのですが、智樹の分も宿帳を記入したりするうちに、「できないことはやってあげればいい」それで前に進むのなら、それはそれでいいんじゃないと思ったそうです。
 
 

 
―――しかも、智樹さんは耳で聞いたことはほとんど覚えられたり、ドローンレースで優勝したり、すごい力があります。
 
 

朱実 私たちは紙にメモしないと忘れちゃうけど、智樹の頭には外付けハードディスクがあるんじゃないか?と思うくらい記憶力があるのには驚きます。そうやってバランスが取れるようになってるんでしょうね。ドローンにたどり着いたのはたまたまですが、できないことを頑張るより、「できることを伸ばせばいい」と思います。
 
 

<後編>は、こちら

取材・構成・文/江頭恵子 撮影/渡邊 眞朗

 

文字の読めないパイロット 識字障害の僕がドローンと出会って飛び立つまで』(高梨智樹 イースト・プレス 2020年8月13日 1,300円+税)

トビラコのサイトでも紹介しています。こちら

高梨智樹さん

たかなし・ともき

1998年神奈川県生まれ。小学校から読み書きの遅れが生じる。

本人の希望で特別支援学校の中学部に進学。識字障害の診断を受ける。定時制高校に進学。東京大学先端科学技術研究センター(先端研)の「DO-IT Japan」

プロジェクトに参加。中学時代に「ドローン」の映像をみて衝撃を受けて以来、部品をインターネットで取り寄せながら組み上げるなどして、ドローンの世界にのめり込んでいた。2016年ドローンの国内大会で優勝。その後、ドバイ世界大会、韓国世界大などに出場し実績を積む。18歳で父親とドローンの操縦・空撮会社「スカイジョブ」を設立。空撮機からレース機、産業用の機体までさまざまなドローンを使いこなすほか、警察への講演会や新型ドローン開発のテストパイロット、災害時の情報収集への協力など活動は多岐にわたる。TBS系ドキュメンタリー番組「情熱大陸」で紹介されて話題となる。著書(聞き書き)に『文字の読めないパイロット 識字障害の僕がドローンと出会って飛び立つまで』(イースト・プレス)がある。

 

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